鉄道と旅 1970s
高知への旅 −スイッチバック駅を見に− 1968年8月7-8日 [土讃線]
 この旅は,特にSLを追いかけてという旅ではありませんでした.それ以前から鉄道好きではありましたが,本格的にSLを追いかけ始めたのはこの次の年,1969年からです.この年に四国へSLを本格的に撮りに行きました.この旅はその前の年,まだ鉄道なら何でもよいという時代に行ったものです.四国には母親の故郷があって,泊めてもらえる場所があるので,高校生の私にも出かけることができたのでした.SLには,一台きりしか出会えませんでしたが,SLを追いかけることになった原点の旅でした.

三ノ宮から姫路へ,そして姫路から岡山へ
▲三ノ宮から姫路へ,そして姫路から岡山へ.80系12両編成の普通電車岡山行.瀬戸駅での特急「はと」とのすれ違い.
 お金はないが夏休みで時間はあるという,今ならさしずめ青春18きっぷの旅というところでしょうか.1日目の8月7日には普通電車を乗り継いで四国へ渡りました.そして8月8日,高松から高知へのミニ旅行です.

 まずは予讃線琴平駅でDF50 537の牽引する普通列車と行き違いました.DF50はその後の凸型のディーゼル機関車と違って,ボックス型のディーゼル機関車で,ちょっとかっこよかったですね.見たのは500番台が多かったように思いますが,四国には1号機が走っていました.

琴平駅で普通列車との行き違い.DF50 537
▲琴平駅で普通列車との行き違い.DF50 537.
 今回の旅は,実は高知へ行くことが目的ではありませんでした.土讃線には2カ所,スイッチバックの駅があるのです.スイッチバックという,都会に住んでいる私にとっては耳学問でしか知らない鉄道名所を,この目で見てみるのがねらいでした.その一つ目は,多度津から阿波池田へ入る直前の県境猪ノ鼻峠を下るところにある駅です.多度津から行くと下りになるのですが阿波池田からは急勾配の上りになります.坪尻駅は現在は無人駅ですが,この旅行に行ったときは駅長さんがいて,発車する列車に対して指差確認していました.

坪尻駅のスイッチバック
▲坪尻駅のスイッチバック.右側が本線でトンネルの方向が多度津方面です.
 さて,私の乗った列車は阿波池田駅に着きました.ここで,唯一のSLに出会いました.これは徳島線の列車を引いているC58 143です.徳島線へはこの次の年の夏にSLを追いかけて出かけています.このサイトはSLを追いかける旅を特集していますが,この一枚でこのページに載せる資格を得ました(笑).この当時,四国の無煙化はかなり進んでいて,本州・四国・九州・北海道の中では,四国が一番早く無煙化されるだろうといわれていました.当時は,高徳線,徳島線,小松島線,牟岐線など東の方と,内子線にC12が走っているだけでした.

阿波池田駅で出会ったC58 143
▲阿波池田駅で出会ったC58 143.1968.8.8.
 阿波池田を発車した列車は,急峻なV字谷である吉野川沿いに高知県方面へ登っていくことになります.途中観光地として有名な大歩危小歩危峡を通ります.多分小歩危駅だと思いますが,急行土佐とすれ違いました.たしか,高松と高知方面を結ぶ急行だったと思います.

行き違いの急行「土佐」,多分小歩危駅
▲行き違いの急行「土佐」,多分小歩危駅.
大歩危峡を下に見ながら崖に作られた線路を走る列車
▲大歩危峡を下に見ながら崖に作られた線路を走る列車.向うは国道33号線.
 さて,大歩危を過ぎると,いよいよ二つ目のスイッチバック駅,新改駅を目指します.途中で急行「阿佐」と行き違いました.阿佐は昔は準急でしたが,標識には急行と書かれています.たしか,徳島(小松島)と高知を結ぶ急行だったと思います.駅名は記憶にありません.

急行阿佐
▲急行阿佐との行き違い.
 そして,やがて,新改駅に着きました.高知へ行く下り列車では,この坂は下りになります.まず,引上線に列車は入ります.そしてバックし,新改駅に停車します.写真に示したような順序になります.逆に高知から阿波池田の方面へ向かう上り列車は,まず新改駅に停車した後,バックして引上線に入り,そして本線を阿波池田の方へ向かって出発します.下のDF50 1の写真に,小さくですが駅長さんらしき人が写っています.ここも当時は無人駅ではありませんでした.

新改駅のクロッシングポイント
▲新改駅のクロッシングポイント.阿波池田方面から入ってきた列車は引上げ線に入ってからバックして駅に入る.
引上線に入った私の乗った列車
▲左:引上線に入った私の乗った列車.右の下り勾配の線路が高知方面へと続く.右:駅に停車した列車の最後尾.
線路がなくなっている新改駅の突き当り
▲左:線路がなくなっている新改駅の突き当り.右:帰りに乗った上り列車が新改駅に停車している.DF50 1号機.
 さて,目的を果たした旅は,もう終わったようなものです.高知駅に着いて,急行「南風」を見ました.当時は急行の名前は地名をつけるのが普通で,自然現象は特急につけられるのが普通でしたが,これは自然現象でありながら急行でした.

 高知で降りて,いちおう来たのだからと桂浜を見て,帰途につきました.写真のように,帰りはDF50 1号機の牽引する普通列車でした.途中珍しいフロントを持つキハユニ15を見ました.

急行「南風」とキハユニ15 12
▲左:急行「南風」号.右:気道動車にしては珍しい湘南型のプロントを持つキハユニ15 12.
桂浜
▲今も変わらない桂浜の風景.
DF50 1号機
▲帰りの旅を共にしたDF50 1号機.
 今思うと.スイッチバックを見に来たのですから,新改駅で降りて,列車を見ている方がよっぽどよかったような気がします.当時はそこまで気が及ばなかったようですね.