鉄道と旅 1970s
大糸線と糸魚川機関区−日本半周撮り鉄の旅/1970年3月23日 [大糸線]
 呉線を離れ,急行つくし2号が大阪駅に着いたのは22:01でした.予定では,ここから大阪発青森行急行「きたぐに」501列車に乗り継ぐ予定でした.「きたぐに」は22:14発で連絡としてはぴったりなのです.しかし均一周遊券の旅では指定席が使えず自由席に乗らねばなりません.北国のホームへ行くと,すでにスキー客を中心に列車は満員状態.これから夜行で寝ながら糸魚川へ行こうと考えていたので,この状態では体力が持たないと判断し,このすぐ後22:17に発車する普通525列車に乗ることにしました.当時は長距離の夜行の鈍行というのは結構あって,我々のような節約旅行にはとても助かりました.この普通列車の終着駅を覚えていないのですが,たしか新潟行きだったかな? 間違っているかもしれません.こちらもすでにかなり混んではいましたが,座ることはできました.翌朝,糸魚川に着いたのは8:06.「きたぐに」だったら5:35着だったので,むしろ普通列車でゆっくりできて正解だったかもしれません.ただ,「きたぐに」という名称はとても魅力があって,一度乗ってみたかったと思っています.たしかスハ33系の客車じゃなかったかな....


◆◆◆ 糸魚川機関区

 大糸線にはC56形式のSLが走っています.C56というのはとても小さな,テンダ(炭水車)付きのSLです.ちょうどC12にテンダをつけたような感じで,1-C-0,つまり前の補助輪が1つ(1),動輪が3つ(C),後の補助輪が0(0)の車軸配置をしています.また,後方が見やすいように,テンダの両側を低くしていて独特の形をしている機関車で,ポニーという愛称で親しまれていました.


▲C56 125.糸魚川機関区.雪が積もっていると,普段暗くなる足回りが明るく写る.
 C56の引く大糸線の列車は数が少なかったと思います.事前の情報収集でも,どの列車が引いているのかよく分かりませんでした.現地で情報収集して撮影しようという予定です.今ならインターネットにこういった情報はあふれていると思いますが,当時は情報収集の手段がなかなかありませんでした.しかもまだ高校生ですから,情報にお金をかけるわけにもいきません.旅行の記録にもどうやって情報収集したのかは記されていません.もちろん記憶にもありません.ただ,糸魚川13:10発132列車で大糸線に入っていったことが書かれているので,現地で情報収集が成功したことは間違いありませんね.そこでそれまで午前中の空いた時間に,この糸魚川で機関区を見学したのでしょう.まるで人ごとのような書き方ですが,記憶も薄れた45年以上も前の自分は,もう半分他人みたいなものかもしれません.夜行で体力を消耗すると,こういった記録をつけるのも面倒になるのですね(笑).

▲C56 115,C12 88.糸魚川機関区.
▲糸魚川機関区の機関庫.EF81 32,C56 115,C12 88.
 朝のうちは雪が舞っていました.梅の花が咲いている瀬戸内から一気に裏日本に来て,気持ちは大いに昂ぶりました.東海道沿線に住んでいた私には,SLもさることながら,交流・交直流の赤い電気機関車もとても珍しく映りました.上の写真のEF81というのは交直流両用の電気機関車で,直流区間と交流区間をまたがって走ることのできる電気機関車です.直流で電化すると,架線の電圧降下が大きいので,地上設備を多くつくらねばならず高くつくのですが,車両価格は安くなります.ですから東海道本線や山陽本線のように列車本数の多い地方は直流電化されることが多かったようです.交流電化はこの逆になります.

▲交流専用の電気機関車EF70形式.EF70 70.パンタグラフを一つおろすのが交流機の特徴.
 電気機関車の方にちょっと浮気をしてしまいました.さて,糸魚川機関区には,事前の情報によると,C58が3機,C12が2機,C56が4機,D51が17機,いると自身の旅行メモに記しています(情報源を忘れたので間違っているかもしれません).C58は見あたりませんでしたが,他はいました.まずC12は,69号機と88号機.

▲C12 69.糸魚川機関区.
▲C12 88.糸魚川機関区.
 続いてD51は2機,178号機と 617号機,これ以外にいたようですが,写真には撮っていません.C56は,上の125号機と,115号機がいました.

▲D51 178.糸魚川機関区.
▲D51 617.糸魚川機関区.
▲左:C56 125,右:C56 115.糸魚川機関区.
 糸魚川機関区は小さな機関区で,しばらくすると,見るものがなくなってきました.遠くの操車場でもとくにSLが活躍している様子もありません.

▲C12 88.遠くに操車場が見える.
 ふと横を見ると,特急「北越」が入線していました.いまこの481系(だったかな?)の特急は走っているのかな? 電車にあまり詳しくないのでよく分かりませんが,大阪発の雷鳥でよく使われていた車両だったと思います.話は少しそれますが,当時の国鉄では,特急の名称には自然現象を,急行の名称には地名を,といった原則的な命名基準のようなものがあったようで,この「北越」というのは,それにちょっと反していますね.私のハンドルネームである「銀河」と同じ,東京から神戸まで走っていた急行「銀河」というのも例外でした.

▲特急北越.連写番号等は不明.糸魚川駅.
 さて,いつのまにか雪も上がり,薄日が射してきました.昼からの大糸線の撮影には期待が持てそうです.


◆◆◆ 大糸線 (小滝,頚城大野)

 「大糸線」という言い方は古い言い方で,Google地図を見ると今は「北アルプス線」という名称になっています.糸魚川−静岡構造線の上を走っている路線で,大断層帯が姫川によって浸食されてできた急峻な地形が特徴です.何とかこの地形を生かした撮影をしたいものです.事前に情報を得ていたと思いますが,迷うことなく,小滝駅へ行くことにしました.糸魚川発13:10の132D列車で,小滝到着13:35です.そこから歩いて少し糸魚川の方へ戻り,姫川の鉄橋を渡る171列車をねらうことにしました.

▲隆起し,姫川に浸食されてできた急峻な山々.小滝付近.
 待っていると,黄色い色をした単機の車両がやってきました.ロータリー式の除雪車です.形式は分かりませんが,都会住まいの人間には,こういった車両もとても珍しく,出会ったことを嬉しく思うんですね.おもわずパチリ.

▲ロータリー式の除雪車.大糸線小滝付近.
 ほどなく遠くから貨物171列車の音が聞こえてきました.緊張の一瞬です.日射しも出てきており,この時期としてはこれ以上望めない好条件です.また下りの列車もこれ1本だけで撮り直しはできません.ここではフィルム1本を使い切る覚悟で,連続撮影しました.もちろんネオパンF!.

▲鉄橋を渡り近づいてくる171列車.C56 94.
▲171列車.大糸線小滝付近.C56 94.
▲171列車.大糸線小滝付近.C56 94.本当に小さくかわいらしいSLである.
 上の列車は鉄橋を渡った後すぐにトンネルに入りますが,この場所は遠望がきき,トンネルから出た列車をさらに追い続けることができます.こういったところはビデオで撮影すると素晴らしいのですけどね...

▲171列車.トンネルを出るとすぐにもう一度鉄橋を渡り,洞門に入る.
▲171列車.糸魚川−静岡構造線の急峻な地形がよく分かる.
 たった1本の下り列車でしたが,実は上りがもう1本あるのです.これは別の場所でねらうことにして,次の移動のこともあったので頚城大野駅に移動しました.小滝駅14:48発129D列車で,頚城大野着15:03です.頚城大野は糸魚川から2つ目の駅です.

▲頚城大野駅に止まる172列車.C56 94.後の方の貨車で荷物を下ろしている.
 頚城大野駅で撮影する貨物172列車は,C56の何号機が引いているのか楽しみでしたが,先ほど小滝で出会った,C56 94が引いていました.糸魚川ですぐに折り返してきたのでしょうね.

▲頚城大野駅を発車する172列車.C56 94.もくもくと煙を焚いている.
▲頚城大野駅を発車する172列車.C56 94.
 たった一往復の列車でしたが,天候にも恵まれ,ずっと出会いたかったC56の姿を見ることができ,満足して大糸線の撮影を終えました.最後にカラー写真を一枚.もう変色して色調整が大変でした(涙).

▲171列車.C56 94.大糸線小滝駅付近.
 当時,C56の有名撮影地は小海線でした.日本最高標高の野辺山駅周辺の高原を通るC56が,よく鉄道ファンの雑誌に掲載されていました.私もこの旅行でそれを検討しましたが,道南均一周遊券の往復経路から大きくずれてしまうことや,まだ雪が残っている時期でもあり,マイナーな大糸線にしました.でも今ネットで大糸線のC56を検索してもあまり写真は出てきません.ある意味,多くの人が訪れていなかったという意味ではここでよかったかなと,今思っています.

 さてこの後は,頸城大野16:18発の131D列車で糸魚川に戻り,そこから8分の連絡で241列車に乗り直江津まで行く予定でしたが,この131D列車が10分遅れ...,知らない土地での一人旅では,予定が狂うととても不安になります.でもそこは昔のこと(今でもそうですね),ちゃんと糸魚川で241列車は待っていてくれました.直江津到着が17:20.直江津には親戚がいるので,ここで今夜は宿泊です.ゆっくりお風呂に入って,おいしい夕食をいただいて,お布団で体を伸ばして寝ることができます.呉線から今日までの疲れを取って,明日は羽越線坂町から今川の方へ出かけます.